中山忠光は文久3年(1863)、大和五條(奈良県)で倒幕の兵を挙げる(天誅組の変)も鎮圧され、長州へ逃れた。長州では尊攘派に代わって佐幕派である俗論党が台頭し、支藩の長府藩は忠光に刺客を放った。忠光は居所を変え落ち延びていたが、田耕においてついに落命。時に元治元年(1864)11月15日、享年二十。絞殺されたと伝わる。3年後、忠光の姉で孝明天皇典侍、中山慶子の子、祐宮は即位し明治天皇となった。 - koryu

中山忠光朝臣遭難之處
中山忠光は文久3年(1863)、大和五條(奈良県)で倒幕の兵を挙げる(天誅組の変)も鎮圧され、長州へ逃れた。長州では尊攘派に代わって佐幕派である俗論党が台頭し、支藩の長府藩は忠光に刺客を放った。忠光は居所を変え落ち延びていたが、田耕においてついに落命。時に元治元年(1864)11月15日、享年二十。絞殺されたと伝わる。3年後、忠光の姉で孝明天皇典侍、中山慶子の子、祐宮は即位し明治天皇となった。
投稿者 koryu